大晦日から元旦にかけて愛を叫ぶ②
①に引き継ぎ、[祝詞奏上大失敗]の後、いたたまれなくなってしまった私は残りの準備に取り掛かり、奉納するお神酒にのしを貼り、奉納された方の名簿を確認したり、また縁起物の鯛の飾り付けに感動を覚えたり、失敗を忘れるべく、落ち葉の清掃などの御奉仕もさせていただきました。
写真の私以外の2名は今の私の一部を形成したと言っても過言では無い人物です。罪悪感にかられ、表参道の左右の排水溝の落ち葉を虚な気持ちで拾っているのにも関わらず、神界の鉄板ルール[規則]神様に背を向けては行けない。
また、表参道から神様に向かい[正中]左右対称な距離の真ん中に立つ時は一礼なり、2礼なり、それぞれの持つ作法で祈願、念願するのに正中を跨ぐ[横切る]時には作法を忘れて通過するのも御法度。神主から当日、学びました。
横切る時にも頭を垂れる、もしくは気持ちしゃがむ。虚な気持ちの中、その2つの規則は守って御奉仕出来た事で、案外自分は大丈夫だなと
思えました。そんな時に現れました。神殿と境内の光を背にし、膝をついている私の前に、正に後光を背負いし現れた仲間が!!
[寒川商会 代表 寒川理一]現る。
いつも通りの割腹と悪人顔[ヅラ]です笑笑 私は横軸より縦軸で全ての事を捉えてます。その縦軸でお付き合いしている方です。先輩です。兄貴分です。そして仲間です。一員です。いつも、ぶつかり稽古をしてくれる力士です。兄弟子です。理一君と愛と尊敬を込めて呼んでます。横軸でも付き合って行くと一方通行で決めてます。理一君の事は後日紹介します。本題に戻り、インパクト抜群の再会を果たし、新年の挨拶もサラッと済ませた後に神主の奥様から、[食事の用意が出来ました]とお声掛け。恐縮ながらも社務所の中に招かれて、ご用意して頂いたのは[年越し蕎麦]その時の感動、感謝は[大晦日の定番]とか[大晦日と言えば]そんな習慣的な事では捉える事が出来ませんでした。ただただ感謝。その時の感謝と気持ちを忘れてはならない!と思った私は[奥さん、写真撮らせて下さい]と伝え、許可を頂いた上で静かに…呼吸を整え…固唾を飲み…息を止めて…これ以上無い状態でデバイスのシャッターを…パシャッ。
何故ボケる。何故故にボケる?全身全霊全力全開でボケるなーーーっ。と撮った後の私。その後、奥様が[全部インスタントだったから気の毒だなって思ってたの]それが貴女の心からの思いなら私は納得しますが…神職である神主の奥様はやはり能力者。スタンド使い?と疑問を残し、暖かいうちに完食し、思いと現実と命、何もかもを胃袋に流し込み、心地よい満腹では無く、満足感に満たされました。食事の振る舞いを受けた後は境内の掃除、火の番、ご参拝の方々に甘酒を振る舞ったり、最後の方は作業着?はっぴ?氏子さんの手伝い着?を羽織って[新年おめでとうございます][よーお参りでした]のお声掛けをさせて頂きました。時間は丑三つ時の1時間前、一巡目のご参拝客が落ち着いた時を見届けて実家に帰りました。明日では無く、当日の数時間後には私も元旦祭です。
愛媛県は西条市。一路、石鎚神社に向かうのです。まだまだ令和元年を振り返る予定ですが、最後に令和元年11月と12月の大晦日まで、切っても切れない、何なら一生切るつもりも無い人達に感謝を。史、美恵さん、理一君、みやびさん、昌司、ちえさん、Kさん、Mさん、I君、両親、嫁さん、家族、兄弟、子供達。受け止めてくれてありがとう。心配してくれてありがとう。観察日記つけてくれてありがとう。泣いてくれてありがとう。ぶつかり稽古してくれてありがとう。もう一度チャンスをくれてありがとう…一つ屋根の下で働いてくれてありがとう。そして、yujiさん崖から優しく突き落としてくれてありがとう。最幸で最高な令和元年、年末年始でした。今年からも一生宜しく!
大晦日から元旦にかけて愛を叫ぶ。①
明けましておめでとうございます。
令和元年から令和2年の始まりです。
昨日の大晦日の話に戻ります。
とある神社で氏子総代率いる氏子さん達による
元旦祭の準備が執り行われ、一通りの準備が整
った後、日またぎで神事が催行される間を利用して[祝詞奏上]を予定していたのです。
当初の予定では17時頃を予定とし、それまでの
時間を家、住まいの大掃除に回していました。
また、アトリエの神棚の掃除も並行して行うと
同時に[榊難民]になっていました。どこに買いに行っても、[榊が無い!!]そりゃそうで
す。世間は大晦日。お正月飾りは残っていても
ただでさえ少ない[榊]です。普段から、シキ
ビは残っていても[榊]は少ないのです。神道
が如何に世間に浸透していないかを物語っています。そうこうしている内に定刻が近づいて来ます。確認の電話では、準備が押しているとの
事。電話口からも神主の慌ただしさが伝わって
きました。神社に向かう道中も悪あがきの[榊
]探しをしながら、予定より20分程遅れで神社
に到着。幸いまだ準備が終わっていませんでし
た。最後の練習が出来ると思い実際の空気感を
肌で感じながら作法をおさらいしました。
おさらいの間でも、残った準備も御奉仕させて
頂き、気休めにしか効かないストーブの熱よりも冷たい空気を味わいながら、神職さん達の慌
ただしさも肌で感じました。おおむねの準備が
整い[祝詞奏上]の時間がやってきました。
写真は[人型]宮崎駿監督作品 千と千尋の神隠しを思い出した人も多い筈?痛いの痛いの飛
んで行け〜のイメージでしょうか?
本題に戻り、神主からは[お風呂に入って来て
]と[前髪が落ちない様にだけして来て]の2つの注意点だけでした。身体も清め、髪もバッチリ整え準備万端な私に以外な現実が……[今日は装束を着装致します♪]えっ?初めは着ないって言うたやん…途端に同級生である事実が
蘇る。お前が言うたやん!って言いそうになる
始末。しかも私が尊敬する理容師さんの作品を
台無しにするかの様な[烏帽子も被ります]宣言。烏帽子[エボシ]またしても、宮崎駿監督作品が頭に過ぎります。過ったのも束の間、手解きを受け装束を着装し終わる頃には、神界の
領域に入る責任、覚悟に味わった事の無い緊張
感が襲って来ました。眼前に立ち座る時には、外気と同じ冷たい空気、嫌でも背筋を伸ばさず
にはいられない状態でした。基本作法[揖]と[拝]ユウとハイ[笏]シャクの操作だけを粗削りにも身に付け[右手に持つ細長い板]いざ、奏上。祝詞場の右には神主。左には私。
超が付く程の基本的な祝詞。[大祓詞]オオハライノコトバ。神主による冒頭の読み始めに続き、追いかけたところで2人で奏上。結果…
大失敗でした。奏上する上での
禁じ手。無作法。タブー…
息継ぎが重なり、誰の口からも奏上出来ていない瞬間がある事実。発声による呼吸のズレ。酸素不足…読み上げる長さに息が持たないのです
。1人で奏上する時の10倍以上の難易度。
大晦日から元旦にかけて愛を叫び②に続く
全ての事は一方通行で。(鉄則)
こんにちは。17時の神事を迎えるに当たり、本日
2本目のポスト(投稿)であります。
ドバドバと伝えたい事があります(一方通行)
それは生業を通じて感じる事。(感受性機能発動)
勝手に一方通行で憧れたり、心地良い印象を持つ方
はいませんか?皆さんは?
生業だけって訳じゃなく、それ以外の場面も然り。
しかも、相手の方はこちらの事など知らない訳で。
私には3〜4年前かな?自身のアトリエ(単なる工場)
の近くに移転してきた、ウドン屋さん。
うどんでも無く、饂飩でも無く、ウドン屋さん。
ここの店が自分にかなり響く訳で。
店主の姿勢かな?仕事に向き合う姿勢が美しく感じて。
従業員さんに求めている姿勢も全てが物語っていて…
単なる店主の自己満足でも無いんですねぇ。
当然、お客様が口に運ぶウドンには全てが込められて
いて。美味いとか不味いとか、単に味覚による判断
じゃ無くて。極端に言わせてもらうと、[不味くても]
[美味く感じる]と失礼にも言わせてもらいたくなる味。
極端な言い回しをした上で、所詮、味覚は個人差です。
私にはそう感じるのです。仕事納めの28日には2人の
仲間を連れて、手を合わせ、美味しく。有り難く。
そして、束の間の談笑を楽しみながら、そそくさと
退店しました。当然、席で手を合わせ、返却口では
命と店主と店主の思いに足並み揃えて頑張っている
方々の耳と心に向けて[ご馳走様でした🙏]と。
大きい声で。これも然り。昨日の餅つき後の昼食も
言わずもがな。玉売りの持ち帰りに母の出汁。
全く喧嘩しません。愛情の相乗効果です。
敢えてリンクしません。てか出来ません。
ブログ初心者なんで。調べて行ってみては如何でしょう
か? [エビスウドンファクトリー]
令和元年最後の最高なウドン県民による
食べ納めでした。
突然開始したブログの理由。
おはようございます☁️
令和元年最終日の大晦日を迎えました。
簡単な自己紹介もそこそこに突然始めた
ブログ。しかも、このタイミングで…
その理由を伝えるべくして、逆算して自分
自身に起きた出来事を伝える必要があるの
にも関わらず、時の流れは許してくれない。
先月の11月23日から怒涛の流れで年末を
迎えてしまいました。
どこの家庭にも決して珍しく無い、年末の
風物詩とも言える (お餅つき)
その(お餅つき)の行事にも自身に起きた
ディープインパクトとも言える運命的な日
2019年 12月29日 午前10時〜午後12時
仕事納め翌日の忘れる事など出来る筈も無い
衝撃的な2時間(90分+サービス延長30分)
が私に与えられました。
写真の赤い子餅。よくある紅白餅の赤。
実は縁起物では無く、災いから身を守る為に
作った (厄餅)と言われる物です。
災い=厄 同じ読み方が出来ます。
私が生まれた家は神道の家で、産声をあげた
時には既に(当たり前)の習慣でした。
ご存知かとは思いますが、男性女性に問わず
厄年と言われる年がありまして、男は数え
年で24歳〜62歳の間で(前、本、後)の厄の
3年が生涯で3回。女は1回多く4回。
厄を迎える年に周りの人達の口に助けをもらい
厄を散らす?分散させる?と言う意味で食べて
もらいます。当然、厄年本人は口にする事が
出来ません。縁起担ぎとは言え、食べる方は
大丈夫か?と言いたくなります。そんな様々な
縁の元、産声をあげた私の名前は(武神)
超が付く程、名前負けと言うか変な名前です。
ある意味、キラキラネームの先駆者かも知れません。そして、本日。神職の装束に初めて
袖を通すのです。それも古くからの友人の縁で。その友人はとある神社の神主。とある友人の私は全くの素人。正式な作法など皆無です。
選んだ貴方が悪いのです。昨日、今日の予行
練習だけで神主の友人を祓うのです。
装束の裾を踏んで転ぶ私が…。2019年令和
元年最終日の大晦日。素人によるプロの為の
新年を迎える準備の為のお祓い。
決戦は17時より。祝詞も自信無いです。
行ってまいります。
初めまして。始めました。
営んでおります。髙木武神(タカギ タケシン)と
申します。1977年、9月3日生まれ。42歳厄年!
世間で言う(後厄)の男であります。
今更ながらに(ブログ)たる物を始めるに理由が
ありまして…
今後を通じて、今日に至るまでを少しずつでは
ありますが、拙い文で綴っていこうと思います。
当然のことながら、自分の生業を通じて感じる事
また、感じた事。実のところは生業以外で感じた事
をメインで綴っていけたらと思ってます。
生業のツールで言葉を借りますと、1977年式
初年度登録年月日 9月3日 オーバーホール間近。
至る所にガタは有りますが、唯一の特別装備は
(感受性)製造ライン(母親)から与えられました。
私をご存知な方も、そうで無い方も改めて宜しく
お願い致します。 髙木自動車鈑金 髙木武神